2016年11月なかばに、相倉合掌造り集落(富山県南砺市五箇山地区)を歩いてきた、お散歩日記です。
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※この記事は、旧ブログの記事を再編集・移転したものです。
相倉伝統産業館
集落の奥にある方の資料館です。
手前の建物に掲げてある案内表示が、まず目に入ります。
こちらが本体ですね。
入館料は、ここだけなら200円、後述の民俗館との共通券が350円です。
共通券を買って、お邪魔しまーす。
伝統産業館・一階
一階は、展示物やビデオがあります。
じゅうたんを敷いたりして居心地良くしてくれていますが、構造としては合掌造りそのものなので、普通に囲炉裏があります。でも、囲炉裏には火を入れずに、ストーブを焚いてありました。(火を入れたら番をしないといけないでしょうしね)
(デジカメの設定を変え忘れていて、妙に電球色な写真が続きますが、ご了承ください)
ぱっと目に入るのが、こきりこ節の楽器やささら、麦屋節の笠なんかの展示です。
こきりこは上梨(かみなし)集落、麦屋は下梨(しもなし)集落のもの、という意識がありますが、同じ平地区の民謡で有名どころなので、集めてきたのかと。
ビデオは、こきりこ・麦屋などの民謡と、茅屋根の葺き替えについてだそうです。お時間あればぜひ。
産業としては、塩硝作りについて紹介されていました。
塩硝とは、鉄砲に使う火薬の原料で、合掌造りの床下で作っていたとのこと。約400年前から、明治初期まで、盛んに作られていたそうです。
五箇山は塩硝作りに適した場所だったそうで、年貢米の代わりに加賀藩へ納めていたそうです。米や農作物を作るには厳しい環境だったでしょうしね。
さて、受付のおばあちゃんに、ハシゴで二階に上がれますよ、と言われていたので、
キョロキョロ探したら、本当にハシゴでした。しかも電信装置の裏。
これ、言われないと絶対、上がっちゃダメな所にしか見えませんわ。(面白がっています)
伝統産業館・二階
屋根裏の風情の二階には、かいこの道具などが展示されていました。
かいこも五箇山では重要な産業でした。昭和40年までやっていたそうです。
機織り機や、生活の道具なんかも。
昔のものすごく雪が積もった頃の写真パネルも展示されていました。
近年は、降らない年は本当に降らなくて、正月に雪がないってことも珍しくないのです。異常気象だわ、まったく。
降りるついでに、ハシゴを上から。
上りと下りが一応わかれていますが、肝心の降りた先にスペースがないという。
観光客フレンドリーとはいいがたいですが、家の空間を最大限使う工夫が伝わってきます。
伝統産業館・玄関
玄関の土間の所には、紙漉き道具が展示されていますが(五箇山和紙も昔から有名)、その脇のこんな物が目にとまりました。「手風呂」と書いてあります。
紙漉きは冬の仕事なので、この手水桶にお湯を張って、手を温めながら作業をしたそうです。
昔の苦労を思うとともに、色々な所で工夫をして一生懸命生きていたんだな、という感想を持ちました。
相倉民俗館
伝統産業館から戻ってくる途中、メインストリート沿いにあります。
写真でいうと建物の右奥、看板がかかっている辺りに入り口があります。
相倉民俗館・一階
こちらでは、道具類の展示もしつつ、五箇山の歴史と風土・文化、合掌造りの構造・建て方、といった事柄をパネルで紹介しています。
合掌造りを建てるやり方は、写真パネルになっています。しげしげ見ちゃいます。
歴史パネルには、平家の落人伝説のことも書いてある!(落人伝説が何だか好き)
史実として具体的なことは言えないけども、五箇山には平家の落ち武者が流れ着いたという言い伝えがあります。民謡の麦屋節は、この方々が唄い踊って生まれたと言われています。
うろうろ見てたら、報恩講(ほうおんこう)の写真パネルが。
うちでも昔やってた! ほんこさま!
つぶら。ブレてますが。
昔は父さんをつぶらに入れて畑に行って・・なんて話を祖母から聞くので、こういうのもしげしげ見ちゃいます。
相倉民俗館・二階
この建物の階段は、幅が広くて踊り場があって、上がりやすいように改装されていました。
上がった所で、見降ろしてみました。これでも急ですが、だいぶ通りやすいです。
ちなみに昔のハシゴは、外して展示されてます。
さて、二階です。
二階は、合掌造りの骨組みを生で解説してます。
建物の構造が好きな人には、これ、たまらないんじゃないかなあと思います。
取り払ってあるけど三階もあるのよ、と説明が。
二階はアマ、三階はソラアマと呼びます。たぶん五箇山言葉です。
あとは、道具の展示。
田んぼの道具もありました。
五箇山で米作りが始まったのは、昭和21年ごろだそうです。それまでは、ソバやキビが主食だったと。畑では、かいこ用の桑や、和紙の原料となる楮(コウゾ)も多く作られていたそうです。
ちょっとこの辺、感じ入っちゃったので説明パネルを引用。
谷川から水を引き込んで開田し、本格的な米作りが始まったが、人力で土を掘り起こす重労働であった。昭和30年頃になると、里の開田は終わっていたので、農機材を買い求め、牛の力によって掘り起こした。
良い時代の訪れに人々は感謝した。
生きるのに必死な時代から、美味しくて栄養のあるものを作れる時代へ、だんだん変わっていったんだな、としみじみしました。
相倉民俗館・再び一階
一階へ戻ってきました。
さきほどの伝統産業館にもありましたが、ボタンを押すとビデオが流れるやつです。
囲炉裏端に座布団はあるし、ストーブ焚いてあって暖かいので、冬の寒い中を歩き回った後にここでビデオ見ながら休憩、というのもオツな気がしました。
遊んでよさそうな、ささらとしで竹もありました。またブレております。
相倉民俗館~駐車場
資料館を見終わって、メインストリートを駐車場へ向かって戻ります。
途中にある民宿のひとつ、勇助(ゆうすけ)さん。
こういう、「勇助」とか「まつや」とかいうのは、苗字ではありません。屋号(やごう)といいまして、ひとつの集落の中で、各家に重ならないように付いています。狭い村の中、同じ苗字の家がたくさんあるので、屋号がないと、どの家だか分からなくなっちゃうのです。
平村の田中さん、なら何十軒もあるかもですが、相倉の勇助、と言えば、村内に一軒だけです。そんな感じです。私の実家にも屋号は付いてます。
紙漉き体験はこちら、と看板が。
下梨の和紙の里や、道の駅たいらに併設の和紙の里でも紙漉き体験をやっていますが、基本的な一枚和紙を作る料金は、どこでも600円です。(※大きな一枚和紙はどこでも体験できますが、他に何ができるかは各館違うようです。料金も作るものによりけり)
戻ってきました。
駐車場からもういちど振り返る。
その1からここまで、ゆっくり見て回って、写真も撮りまくって、所要時間は1時間10分くらいでした。
平日だったからかもしれませんが、全く人が多い感じはなく、のんびり歩けました。
それでも、学生風のグループや、年輩のご夫婦、白人さんカップル、韓国ぽいおばさまグループなど、多様な方々が観光に来てました。
帰り道もウロウロ行きますので、よろしければお付き合いください。
下梨発着なので、戻るまでが遠足です!
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